こんにちは、スポーツ・ダイジェスト・ネットの運営者のアキです。
大谷翔平選手の背番号を調べていると、ドジャースでは17番なのに、侍ジャパンでは16番、日本ハム時代は11番と、いくつもの番号が出てきます。
「現在の背番号は何番?」「なぜ17番なの?」「歴代の背番号をまとめて知りたい」と気になった方も多いのではないでしょうか。
さらに、大谷翔平選手の背番号をたどっていくと、高校時代の1番・17番・18番、WBCの16番、日本ハムの11番、エンゼルスとドジャースの17番、そしてMLBで見かける42番まで登場します。
背番号だけを見ても、大谷選手が歩んできた野球人生がかなり見えてくるんですよ。
この記事では、大谷翔平選手の現在の背番号、歴代背番号一覧、17番・16番・11番を着けた理由、高校時代やWBC、オールスターでの番号まで順番に整理します。
番号の意味を必要以上に美談にせず、確認できる事実とエピソードを分けながら、大谷選手のキャリアと一緒に振り返っていきます。
最初に結論をお伝えすると、2026年8月現在、大谷翔平選手がロサンゼルス・ドジャースで着用している背番号は17番です。(出典:ロサンゼルス・ドジャース公式「40-Man Roster」)
一方、2026年WBCの侍ジャパンでは16番を着用しました。(出典:野球日本代表 侍ジャパン公式「大谷 翔平」)この17番と16番の違いを押さえておけば、大谷選手の背番号はかなり分かりやすくなります。
【記事のポイント】
- 大谷翔平選手の現在と歴代の背番号
- 17番・11番・16番を着けた理由と背景
- 高校・日本ハム・WBC・MLBでの番号の変遷
- 42番やオールスター、ユニフォームの疑問
大谷翔平の背番号は現在17番
まずは、もっとも知りたい現在の背番号から確認していきましょう。
大谷翔平選手はドジャースで17番を着用していますが、これまでずっと17番だったわけではありません。
高校、日本ハム、侍ジャパン、エンゼルス、ドジャースと舞台が変わる中で、いくつもの背番号を着けてきました。
ここでは歴代番号を一覧で整理したうえで、特に重要な17番・11番・16番の違いや背景を詳しく見ていきます。
現在の背番号17と歴代番号一覧
2026年8月現在、大谷翔平選手の所属球団はロサンゼルス・ドジャースで、通常使用している背番号は17番です。
エンゼルス時代の2018年から着けている番号で、2024年にドジャースへ移籍した後も17番を継続しています。
現在の大谷翔平選手は、ドジャースでは17番、侍ジャパンでは16番です。
この2つを最初に覚えておけば、MLBと日本代表で背番号が違っていても迷いにくいですよ。
これまでに確認できる主な背番号を時系列で並べると、次のようになります。
| 時期 | 所属・大会 | 背番号 |
| 2010年 | 花巻東高校 | 18・17 |
| 2011~2012年 | 花巻東高校 | 1 |
| 2012年 | U-18日本代表 | 1 |
| 2013~2017年 | 北海道日本ハムファイターズ | 11 |
| 2014年以降 | 侍ジャパン | 16 |
| 2018~2023年 | ロサンゼルス・エンゼルス | 17 |
| 2024年~ | ロサンゼルス・ドジャース | 17 |
| 4月15日 | ジャッキー・ロビンソン・デー | 42 |
こうして見ると、大谷選手が着用してきた代表的な番号は1番・11番・16番・17番・18番・42番の6種類です。
ただし42番だけは少し意味合いが違います。大谷選手が通常使用している背番号ではなく、MLBのジャッキー・ロビンソン・デーに全選手が着用する特別な番号です。
高校時代についても、一つの番号をずっと使用していたわけではありません。18番、17番、1番を着用した時期が確認できます。
ですから、大谷翔平選手の歴代背番号を理解するときは、単に数字だけを見るのではなく、どのチームや大会で何番を着けていたのかをセットで考えるのが分かりやすいですね。
大谷翔平はなぜ17番なのか
大谷翔平選手といえば、現在では17番を思い浮かべる方が一番多いかもしれません。
私もドジャースのユニフォームを見ると、背中のOHTANI 17がすっかり定着したなと感じます。
ただ、大谷選手が17番を着けるようになった理由については、少し注意したい点があります。
「高校時代にも17番を着けていたから、MLBでも17番を選んだ」と紹介されることがありますが、これを本人が明言した理由として断定するのは避けたほうがよいでしょう。
大谷選手は日本ハム時代に11番を着けていました。
そのため、エンゼルス移籍時にも11番を着けるのではないかと思った方もいたはずです。
しかしエンゼルスでは、11番がジム・フレゴシ氏の永久欠番になっていました。
つまり、大谷選手は日本ハム時代と同じ11番を着用することができなかったわけです。
そして2018年のメジャー移籍後、エンゼルスでは17番を着用しました。
そこから2023年までの6年間、大谷選手は17番を背負い続けました。
エンゼルス時代には投手と打者の二刀流でMLBの常識を大きく変え、MVPを獲得するなど世界的なスーパースターへ成長しました。大谷選手の二刀流がなぜこれほど異例なのか、アメリカで「ユニコーン」と呼ばれる背景まで知りたい方は、「大谷翔平はなぜユニコーン?意味・由来・二刀流を解説」もあわせて読んでみてください。
その結果、17番そのものが「大谷翔平の番号」として世界中に知られるようになったわけです。
17番の意味を必要以上に美談化しないことも大切です。
大谷選手が17番にどのような個人的な思いを込めていたのか、確認できない部分まで推測する必要はありません。
MLBで結果を積み重ねる中で17番が特別な番号になっていった、と考えるのが自然かなと思います。
そして2024年にドジャースへ移籍するとき、この17番をめぐって新たなエピソードが生まれました。
当時、ドジャースの17番を着けていたのはジョー・ケリー投手です。
ケリー投手は大谷選手の加入に合わせて99番へ変更し、17番を譲りました。その後、大谷選手からケリー投手の妻アシュリーさんへポルシェが贈られたことも大きな話題になりました。
ただし「17番とポルシェを交換した」と表現するのは少し違います。
ケリー投手が17番を譲り、その後、大谷選手がお礼としてプレゼントを贈ったという流れで理解しておくのがよいでしょう。
日本ハム時代の背番号11の由来
大谷翔平選手がプロ野球選手として最初に背負った番号が、北海道日本ハムファイターズの11番です。
大谷選手は花巻東高校から2012年のドラフト会議で日本ハムから1位指名を受け、2013年にプロ入りしました。
当時の大谷選手は、高校卒業後に直接メジャーリーグへ挑戦する意思を表明していました。
それでも日本ハムは指名に踏み切り、何度も交渉を重ねたうえで入団につなげています。
その入団時に用意された番号が11番でした。
日本ハムの11番と聞いて、多くの野球ファンが思い浮かべるのがダルビッシュ有投手でしょう。
ダルビッシュ投手は日本ハムの絶対的エースとして活躍し、2012年からMLBへ移籍しました。
その後に空いた11番を、大谷選手が受け継ぐ形になりました。
高校を卒業したばかりの新人が、日本を代表する投手だったダルビッシュ投手の番号を任されるわけですから、球団の期待の大きさが伝わってきますよね。
日本ハムの11番は、ダルビッシュ有投手から大谷翔平選手へと受け継がれた象徴的な背番号です。
大谷選手は11番を背負い、投手と打者の両方でプレーする二刀流に本格的に挑戦しました。
当時は「プロで二刀流なんて本当にできるのか」という見方も少なくありませんでした。
しかし大谷選手は結果を積み重ね、2016年には日本ハムの日本一にも大きく貢献します。
投手として160キロを超える速球を投げ、打者としても長打を放つ。その姿は、当時の日本球界では本当に新鮮でした。
私自身、野球を長く見てきましたが、一人の選手が先発投手として登板しながら打者としても中心選手になるという光景は、それまでの常識から考えると驚きの連続でした。
その意味でも11番は、大谷翔平選手の二刀流の原点を思い出させる番号だと感じます。
なお、日本ハムの11番について「永久欠番になっているの?」と疑問に思う方もいるでしょう。
結論からいうと、日本ハムの11番は正式な永久欠番ではありません。
ダルビッシュ投手から大谷選手へと続いたことで非常に特別なイメージを持つ番号になりましたが、「今後、誰も着用できない番号」と決められているわけではありません。
エスコンフィールド北海道には「TOWER 11」という名称の施設があり、ダルビッシュ投手と大谷選手へのリスペクトが込められています。
それほど特別な番号ではありますが、永久欠番と断定しないよう注意したいところですね。
侍ジャパンで背番号16を選んだ理由
大谷翔平選手の背番号でもう一つ欠かせないのが、侍ジャパンの16番です。
ドジャースでは17番なのに、日本代表になると16番。「どうして番号が変わるの?」と思いますよね。
大谷選手が侍ジャパンのトップチームで16番を着けるようになった大きなきっかけは、2014年の日米野球です。
当時の代表では年長の選手などから希望する背番号を選んでいく流れがあり、日本ハムで大谷選手が着けていた11番は岸孝之投手がすでに選んでいました。
そして大谷選手の順番になったとき、候補として残っていた番号の一つが16番でした。
ここで大谷選手が意識したのが、日本人メジャーリーガーの道を切り開いた野茂英雄氏です。
野茂氏はロサンゼルス・ドジャースで16番を着けて活躍しました。
大谷選手も16番から野茂氏を連想し、その番号との縁を感じたことを語っています。
ただし、「野茂英雄氏に憧れていたから最初から16番だけを希望した」と単純に説明するのは少し違います。
背番号を選ぶ流れの中で16番が残っていて、その数字に野茂氏を重ねたという理解がより自然です。
大谷選手の16番は、最初から特別な番号として計画的に選ばれたというより、代表選出時の状況から始まり、その後の活躍によって特別な番号へ育っていったと考えると分かりやすいですよ。
その後、大谷選手は侍ジャパンで16番を着用し続けました。
プレミア12、WBCなど日本代表として国際大会に出場する際に16番を背負ったことで、今では「侍ジャパンの大谷翔平=16番」がすっかり定着しています。
MLBでは17番、日本代表では16番。
この一つ違いを覚えておくと、大谷選手の背番号はかなり整理しやすくなります。
11・16・17番の違いを比較
ここまで読んで、「結局11番、16番、17番はどういう違いなの?」と思った方もいるでしょう。
大谷翔平選手を代表する3つの番号を整理すると、とてもシンプルです。
| 背番号 | 主な所属 | 背景 |
| 11 | 北海道日本ハムファイターズ | ダルビッシュ有投手から受け継いだ番号 |
| 16 | 侍ジャパン | 2014年から日本代表で定着した番号 |
| 17 | エンゼルス・ドジャース | MLB移籍後に使用し続けている番号 |
私はこの3つを見ると、大谷選手のキャリアがそのまま3つの時代に分かれて見えるように感じます。
11番は、日本ハムで二刀流への挑戦を始めた時代。
16番は、侍ジャパンの一員として世界と戦う大谷翔平。
17番は、MLBで世界的なスーパースターへ成長した大谷翔平です。
もちろん、「11番には必ずこの意味がある」「17番にはこの使命が込められている」と本人が語っていないことまで決めつける必要はありません。
それでも、背番号を時代ごとに並べるだけで、大谷翔平選手のキャリアの節目が見えてくるのは面白いところです。
単純に答えだけを知りたい方なら、次の3つを覚えておけば十分でしょう。
- 日本ハムでは11番
- 侍ジャパンでは16番
- MLBでは17番
ここからは、さらに高校時代やWBC、42番、オールスターなど、少し詳しい背番号の歴史を振り返っていきます。
大谷翔平の背番号を歴代で振り返る
大谷翔平選手の背番号は、プロ入り後の11番・16番・17番だけではありません。
花巻東高校時代やU-18日本代表では1番や18番なども着用していました。
また、MLBでは特定の日だけ42番になることもあります。
ここからは高校時代からWBC、オールスター、ドジャースまで範囲を広げ、大谷選手の背番号を時系列でさらに詳しく振り返ります。
花巻東高校時代の18・17・1番
大谷翔平選手の高校時代の背番号を調べると、1番、17番、18番など複数の番号が出てきます。
「結局どの番号が正しいの?」と迷う方もいるかもしれません。
答えは、18番・17番・1番のいずれも大谷選手が花巻東高校時代に着用したことが確認できる番号です。
大谷選手は岩手県の花巻東高校へ進学しました。高校時代の大谷選手が、野球の技術だけでなく「運」「人間性」「メンタル」まで目標にしていた背景については、「大谷翔平のマンダラチャート完全解説|81マスと目標設定」で詳しく紹介しています。
入学した2010年春には1年生ながらベンチ入りし、18番を着用した時期が確認されています。
その後、1年生の時期には17番を着けてプレーしました。
花巻東高校の17番は、後に高校野球ファンの間でも注目される番号になっていきます。
同校では菊池雄星投手や大谷選手など、後に大きく活躍する選手が若い時期に17番を着用したことから、「出世番号」と表現されることもあります。
ただし、大谷選手が最初に17番を着けた時点から、学校側が正式に「将来のスターが着ける特別な番号」と位置づけていた、とまで断定するのは避けたいところです。
菊池投手、大谷選手らが活躍した結果として、17番に特別なイメージが生まれていった、と見るほうが自然かなと思います。
そして大谷選手は成長とともに、投手のエースナンバーである1番を背負うようになります。
2011年夏の甲子園や2012年春のセンバツでも1番を着用しました。
さらに2012年のU-18世界選手権でも、日本代表の背番号は1番でした。
高校時代の主な流れは、18番・17番からエースナンバー1番へ。
花巻東高校時代から一つの番号を使い続けていたわけではありません。
現在の大谷選手がMLBで17番を着けているため、高校時代の17番とのつながりを感じたくなるところですよね。
ただし「高校時代の17番が好きだったからMLBでも17番を選んだ」と本人が明言した事実として扱うのは避けたほうがよいでしょう。
こういうところは、事実とファンとしてのロマンを分けて楽しむのが一番だと思います。
WBCで背番号16を着けた理由
WBCで大谷翔平選手が着用する背番号も16番です。
特に多くの方の記憶に残っているのが、2023年のWBCでしょう。
大谷選手は背番号16を着け、投手と指名打者の二刀流として日本代表の世界一に大きく貢献しました。
決勝のアメリカ戦では、9回にマウンドへ上がり、最後の打者となったエンゼルス時代の同僚マイク・トラウト選手から三振を奪いました。
大谷選手とトラウト選手というMLBを代表するスター同士が、世界一を決める最後の場面で対戦する。
あのシーンは、野球ファンにとって忘れられない瞬間になりましたよね。
大谷選手は大会MVPにも選ばれ、世界中に「侍ジャパンのOHTANI 16」が強く印象付けられました。
そして2026年WBCでも、大谷選手は背番号16で登録されました。
この大会では指名打者として出場し、日本代表の中心打者としてプレーしています。
ドジャースでは17番
侍ジャパンでは16番
現在はこの使い分けが完全に定着したと考えてよいでしょう。
なお、2017年WBCについては少し注意が必要です。
大谷選手は2017年WBCの日本代表メンバーとして、背番号16で登録されていました。
しかし大会前に故障のため出場を辞退しています。
2017年WBCでは背番号16で選出されましたが、本大会には出場していません。
そのため「2017年WBCの試合で16番を着けてプレーした」と表現するのは正確ではありません。
2014年の日米野球から始まった16番が、プレミア12、WBCへと受け継がれ、今では大谷翔平選手の日本代表での象徴的な番号になっています。
背番号42を着けるのはなぜ?
大谷翔平選手の試合を見ていると、突然17番ではなく42番を着けている日があります。
「背番号を変更したの?」と思ってしまうかもしれませんが、変更したわけではありません。
これは毎年4月15日にMLBで行われるジャッキー・ロビンソン・デーによるものです。
ジャッキー・ロビンソン氏は1947年4月15日、ブルックリン・ドジャースの選手としてメジャーリーグにデビューしました。
近代MLBの人種の壁を破った歴史的な選手として知られ、現在ではその背番号42がMLB全30球団共通の永久欠番になっています。
そして毎年4月15日のジャッキー・ロビンソン・デーには、MLBの選手、監督、コーチなどが42番を着用して試合に臨みます。
大谷選手も同じです。
2025年、2026年の4月15日には42番を着用し、翌日には通常の17番へ戻っています。
42番は大谷翔平選手の通常の背番号ではありません。
歴代背番号として紹介するときも「ジャッキー・ロビンソン・デー限定の特別な番号」と理解するのが正確です。
大谷選手のMLB公式の記録などを見ると、一時的に17番から42番へ変わり、その後17番へ戻っているように見える場合があります。
それを見て「大谷選手が42番へ変更した」と思った方もいるかもしれませんが、実際にはMLB全体の記念イベントによる一日限定の変更です。
しかもジャッキー・ロビンソン氏がプレーしたブルックリン・ドジャースは、現在のロサンゼルス・ドジャースにつながる球団です。
大谷選手がドジャースのユニフォームで42番を着ている姿を見ると、MLBの長い歴史まで感じられますね。
オールスターで着けた背番号
大谷翔平選手は、日本でもアメリカでもオールスターゲームに出場してきました。
日本ハム時代のNPBオールスターでは、所属球団と同じ11番を着用しています。
2013年から2017年まで、日本ハムの大谷翔平といえば11番でした。
一方、MLBへ移籍した後のオールスターでは、エンゼルスやドジャースで使用している17番を着用しています。
特に印象深かったのが2021年です。
大谷選手はMLBオールスターで投手と指名打者の両方で選出され、二刀流選手として大きな注目を集めました。
オールスターというスター選手だけが集まる舞台でも投手と打者の両方で名前が出るわけですから、当時のインパクトは本当に大きかったですね。
その後も大谷選手はMLBオールスターの常連となり、2021年から2025年まで実際に出場した大会では17番を着用しています。
2026年もオールスターに選出されましたが、この年は状況が違います。
大谷選手は2026年のオールスターに選ばれたものの、左膝の炎症への対応を優先して出場を辞退しました。
2026年はオールスターに選出されましたが、試合には出場していません。
そのため「2026年オールスターでも17番を着けてプレーした」とするのは避けたほうがよいでしょう。
整理すると、NPBオールスターでは日本ハムの11番、MLBオールスターでは実際に出場した大会で17番という流れです。
代表戦では16番になるため、同じ大谷翔平選手でも「所属球団の試合なのか、日本代表なのか」を見ると背番号の違いが理解しやすいですね。
背番号17のユニフォームとグッズ
大谷翔平選手の背番号を調べている方の中には、17番のユニフォームやグッズを購入したい方もいると思います。
現在もっとも定番なのは、やはりドジャースのOHTANI 17でしょう。
ユニフォームには観戦や普段使いを意識したレプリカ系の商品から、実際の選手仕様に近い上位モデルまでさまざまな種類があります。
ほかにも17番入りのTシャツ、キャップ、タオル、キーホルダー、ボブルヘッド、記念グッズなど、関連商品はかなり豊富です。
価格は商品や販売店、限定仕様、為替、在庫状況などによって変わります。
2026年8月時点で見られる一般的な価格帯の目安としては、次のようになります。
| 商品 | 価格の目安 |
| レプリカ・Limited系ユニフォーム | 約23,000~30,000円 |
| Authentic・Elite系ユニフォーム | 約49,000~90,000円以上 |
| 背番号入りTシャツ | 約5,000~10,000円 |
| キャップ | 約4,500~8,000円 |
| タオル | 約1,300~5,500円 |
| キーホルダーなど | 約1,500~5,500円 |
| ボブルヘッドなど | 約13,000~55,000円 |
たとえばNikeやMLBの正規ライセンス商品では、ドジャースの大谷選手ユニフォームが2万円台後半になることもあります。
より選手仕様に近いモデルになるほど価格は高くなる傾向があります。
一方、日本代表を応援したい方なら侍ジャパンのOHTANI 16も魅力があります。
同じ大谷翔平選手のユニフォームでも、17番と16番では意味合いが違います。
私なら、普段のMLBで大谷選手を応援したいなら17番、WBCや侍ジャパンの思い出を大切にしたいなら16番、という選び方が分かりやすいかなと思います。
ユニフォームや限定グッズの価格は、発売時期、販売店、為替、在庫、限定仕様、二次流通市場などによって変動します。
上記金額はあくまで一般的な目安です。
人気選手のグッズには非公式商品や模倣品が出回る可能性もあるため、購入時はMLB、球団、Nike、Fanaticsなど正規ライセンスの有無や販売元を確認することをおすすめします。
特にスタジアム配布のボブルヘッドや数量限定の記念品は、二次流通市場で定価とは大きく異なる価格になることがあります。
「高いから本物」「安いから偽物」と価格だけで判断するのは避けたほうがよいでしょう。
正確な商品価格や販売条件、在庫については公式サイトをご確認ください。
また、高額なコレクター商品や真贋の判断が難しい商品については、最終的な判断を信頼できる販売店や専門家に相談するのも一つの方法です。
ユニフォームを購入するときは、番号だけでなくモデルの違いもチェックしておくと失敗しにくくなります。
同じOHTANI 17でも、レプリカ系と上位モデルでは素材や仕様、価格が大きく異なる場合があります。
サイズについても、日本国内向けの商品と海外仕様では着用感が違うことがあります。
実寸やサイズ表を確認して選ぶと安心ですね。
大谷翔平の背番号から見るキャリア
最後に、大谷翔平選手の背番号をもう一度整理してみましょう。
2026年8月現在、ロサンゼルス・ドジャースでの背番号は17番です。
そして侍ジャパンでは16番を着用しています。
大谷選手の野球人生をさかのぼると、花巻東高校では18番、17番、1番を着用し、U-18日本代表では1番を背負いました。
プロ入りした北海道日本ハムファイターズでは11番。
その後、侍ジャパンでは16番が定着し、2018年にロサンゼルス・エンゼルスへ移籍してからは17番になりました。
そして2024年にドジャースへ移籍した後も、ジョー・ケリー投手から17番を譲り受け、そのまま着用しています。
| 背番号 | 主な時代・所属 |
| 18 | 花巻東高校入学直後 |
| 17 | 花巻東高校の一時期・MLB |
| 1 | 花巻東高校のエース・U-18日本代表 |
| 11 | 北海道日本ハムファイターズ |
| 16 | 侍ジャパン |
| 42 | ジャッキー・ロビンソン・デー限定 |
こうして振り返ると、背番号は単なるユニフォームの数字ではなく、大谷翔平選手がどの舞台でプレーしていたのかを思い出させてくれる目印のようにも感じます。
11番を見れば、日本ハムで始まった二刀流への挑戦。
16番を見れば、日の丸を背負い世界と戦う侍ジャパン。
17番を見れば、エンゼルスからドジャースへ続くメジャーリーガーとしての大谷翔平です。
もちろん、それぞれの数字に大谷選手本人が特別な意味を込めていると、こちら側から勝手に決めつけることはできません。
それでも、11・16・17という3つの背番号を追うだけで、大谷翔平選手が日本球界から世界のトップへ進んでいった流れが見えてくるのは確かです。
そして、ときどき登場する42番は背番号変更ではなく、MLB全体でジャッキー・ロビンソン氏を称える特別な日だけの番号です。
2017年WBCでは16番で登録されながら故障で本大会には出場せず、2026年のMLBオールスターも選出後に出場を辞退しています。
このあたりまで押さえておけば、大谷翔平選手の背番号についてかなり分かりやすく整理できると思います。
大谷翔平選手の背番号の結論
- 現在のドジャースでの背番号は17番
- エンゼルス時代も17番
- 日本ハム時代は11番
- 侍ジャパンでは16番
- 高校時代は18番・17番・1番を着用
- 42番はジャッキー・ロビンソン・デー限定
大谷選手はこれから先もキャリアを歩んでいきます。
17番がこのまま大谷翔平という選手を象徴する世界的な番号として定着していくのか。それとも、いつか新しい背番号を見ることがあるのか。
野球ファンとして、私も楽しみに追いかけていきたいと思います。
大谷翔平選手の背番号を知ることは、そのまま大谷選手のキャリアを振り返ることでもあります。
あなたが次にドジャースの17番や侍ジャパンの16番を見たときには、その数字の後ろにある日本ハム時代や高校時代まで思い出してみてください。
背番号という一つの数字から選手の歩んできた道を振り返ってみると、これまで以上に大谷翔平選手の試合を見るのが面白くなるかもしれませんね。
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