山本由伸は甲子園に出場した?高校時代の成績からメジャーまで

山本由伸選手は、甲子園に出場したことがありません。

今やロサンゼルス・ドジャースのエースとしてメジャーリーグの大舞台で活躍し、2025年にはワールドシリーズMVPまで獲得した投手ですから、「高校時代は当然、甲子園でも有名な選手だったのでは?」と思った方も多いのではないでしょうか。

ところが実際には、宮崎県の都城高校で最速151km/hを記録し、ノーヒットノーランまで達成していたにもかかわらず、3年間で一度も甲子園の土を踏んでいません。

しかも、2016年のドラフトでは1位でも2位でもなく、オリックス・バファローズから4位指名でした。

ここが山本由伸選手の野球人生のおもしろいところですよね。

こんにちは。スポーツ・ダイジェスト・ネット運営者のアキです。

私自身も高校では硬式野球部に所属し、「あと一歩で甲子園」という環境で白球を追ってきました。

その経験があるからこそ、甲子園に出たかどうかだけで、その選手の才能や将来性を判断することはできないと感じています。

山本選手の高校時代を詳しく調べていくと、まさにそのことを実感します。

この記事では、山本由伸選手がなぜ甲子園に出場していないのか、都城高校時代はどれほどすごい投手だったのか、最後の夏に何があったのか、プロのスカウトはどこを評価していたのか、そしてなぜドラフト4位から世界最高峰の舞台まで上り詰めることができたのかを、確認できる事実と私なりの野球経験からの見方を分けながら詳しく紹介していきます。

まず結論|山本由伸の甲子園・高校時代を簡単に整理

項目 内容
出身地 岡山県備前市
出身高校 都城高校(宮崎県)
甲子園出場 なし
高校時代の最速 151km/h
主な高校時代の実績 鵬翔高校戦でノーヒットノーラン、宮崎海洋高校戦で5回参考記録の完全試合
高校最後の夏 宮崎大会3回戦で宮崎商業に0-2で敗退
ドラフト 2016年 オリックス・バファローズ4位
現在 ロサンゼルス・ドジャース。2025年ワールドシリーズMVP

こうして並べるだけでも、「甲子園に出ていない」という事実と、その後の実績とのギャップに驚かされます。

【記事のポイント】

  • 山本由伸は都城高校時代に一度も甲子園へ出場していない
  • 高校2年時には151km/hを計測し、ノーヒットノーランも達成している
  • 高校最後の夏は右肘に痛みを抱えながら宮崎大会3回戦で敗退した
  • 12球団のスカウトが注目する存在だったが、ドラフトではオリックス4位だった
  • プロ入り後は独自の身体操作やトレーニングを追求し、日本最高峰の投手へ成長した
  • 2025年には日本人投手初のワールドシリーズMVPを獲得した
  • 2026年もドジャースの主力先発として活躍を続けている
  1. 山本由伸は甲子園に出場していない|高校時代を時系列で解説
    1. ズバリ山本由伸に甲子園出場経験はある?
    2. 山本由伸の出身高校は宮崎県の都城高校
    3. 高校2年で151km/h|ノーヒットノーランも達成
    4. 高校最後の夏は延岡学園戦で11奪三振
    5. なぜ甲子園に行けなかった?最後は宮崎商業に0-2で敗戦
  2. 山本由伸はなぜドラフト4位だった?スカウト評価を検証
    1. プロスカウトは高校時代から高く評価していた
    2. 「4位=評価が低かった」ではない
    3. 肘の状態や進路の不透明さもドラフトに影響した可能性
  3. 山本由伸が甲子園未出場から日本最高峰の投手になるまで
    1. プロ入り後は早くから一軍で頭角を現した
    2. 独自のトレーニング法と矢田修トレーナーとの出会い
    3. 甲子園に出なかったことは成功の理由なのか
  4. 山本由伸はMLBでも世界トップクラスへ
    1. 2024年は負傷離脱を乗り越えてワールドシリーズ制覇
    2. 2025年は12勝、防御率2.49|サイ・ヤング賞投票3位
    3. 2025年ワールドシリーズMVP|日本人投手で初の快挙
    4. 2026年もドジャースのエース格として活躍
  5. 同世代の甲子園スターと山本由伸は何が違ったのか
  6. 甲子園に出場していなくても活躍したスター選手は他にもいる
  7. 山本由伸と甲子園についてよくある疑問
    1. 山本由伸は甲子園に出たことがありますか?
    2. 山本由伸は高校最後の夏、どこに負けたのですか?
    3. 高校時代の山本由伸は何キロ出ていた?
    4. 山本由伸は高校時代にノーヒットノーランをした?
    5. 山本由伸のドラフト順位は何位?
    6. なぜドラフト1位ではなかったの?
    7. 甲子園に出なかったことが山本由伸の成功につながった?
  8. まとめ:山本由伸は甲子園未出場でも世界の頂点まで上り詰めた

山本由伸は甲子園に出場していない|高校時代を時系列で解説

現在の山本由伸選手だけを見ていると、高校野球の全国大会でも大活躍していたように感じます。

しかし、高校3年間を通して甲子園出場は一度もありません。

だからといって、高校時代に無名だったわけでも、実力が足りなかったわけでもありません。むしろ宮崎県内では早くからプロが注目する投手へ成長していました。

まずは、その高校時代を順番に見ていきましょう。

ズバリ山本由伸に甲子園出場経験はある?

結論から言うと、山本由伸選手は春のセンバツ、夏の選手権を含めて甲子園への出場経験はありません。

「あれだけの投手なら甲子園のスターだったのでは?」と思ってしまいますよね。

高校野球では、松坂大輔投手や田中将大投手のように甲子園で全国的な知名度を高め、そのままドラフト上位でプロ入りする大投手も数多くいます。

そのため私たち野球ファンの中には、無意識に「プロの大エース=高校時代から甲子園のスター」というイメージがあるのかもしれません。

しかし山本選手は、その道を通っていません。

甲子園に一度も出場しなかった投手が、後にNPBで3年連続投手四冠を達成し、さらにメジャーリーグでワールドシリーズMVPまで獲得したわけです。

この経歴だけを見ても、「高校3年生の時点でどこまで完成しているか」と「最終的にどこまで伸びるか」は別の話だということがよくわかります。

私自身、高校野球を経験してきたので甲子園が球児にとってどれほど大きな舞台なのかはよくわかります。

ただ、甲子園出場の有無だけで選手の価値を決めてしまうのは、やはり違うかなと思います。

山本選手は、そのことをこれ以上ない形で示してくれた選手の一人ではないでしょうか。

山本由伸の出身高校は宮崎県の都城高校

山本由伸選手は1998年8月17日、岡山県備前市の出身です。

小学生時代は地元の「伊部パワフルズ」で野球を始め、中学時代は硬式野球のクラブチームでプレーしました。

中学時代には主に二塁手としてプレーしながら投手も経験しています。

最初から「投手一本」で育ってきたわけではないところも興味深いですよね。

そして高校進学では岡山県を離れ、宮崎県の都城高等学校へ進みました。

地元を離れて高校野球に取り組むこと自体、高校生にとってはかなり大きな決断です。

なお、山本選手の幼少期からの野球仲間としてよく知られているのが頓宮裕真選手です。

2人は実家が近い幼なじみで、後にオリックスでもチームメートになりました。

現在は山本選手がドジャースへ移籍しているため同じチームではありませんが、子どもの頃から一緒に野球をしていた2人がプロ野球の同じ球団でプレーしたというのは、なかなかない巡り合わせですよね。

都城高校へ入学した山本選手は、1年夏からいきなりエースだったわけではありません。

1年夏には「9番・三塁手」として公式戦に出場しています。

投手として現在の姿だけを知っていると意外ですが、中学時代の二塁手、高校での三塁手という野手経験を経てから本格的に投手へ移っているんです。

野手経験が現在のフィールディングにどこまで影響しているかを断定することはできませんが、マウンド以外でボールを扱ってきた経験が豊富だったことは、山本選手の経歴を見るうえで覚えておきたいポイントです。

備前市が公表している山本選手の経歴でも、都城高校進学後、1年秋ごろから投手として頭角を現したことが紹介されています。

(参考:備前市「山本由伸選手の歩み」)

高校2年で151km/h|ノーヒットノーランも達成

山本選手の投手としての才能が一気に表面化してきたのが、高校1年秋から2年にかけてです。

1年秋の新チームから本格的に投手として起用されるようになり、2年春にはすでに147km/hを計測するまでになりました。

高校2年生で147km/hですから、この時点ですでにプロのスカウトが気になる存在だったことは想像できます。

さらに2年時の宮崎県新人野球大会では、最速151km/hを計測。

そして決勝の鵬翔高校戦では、ノーヒットノーランを達成しました。

ここは原文から少し整理しておきたいところです。

151km/hの計測と鵬翔高校戦のノーヒットノーランは同じ新人大会での出来事ですが、「決勝の鵬翔戦で151km/hを出してノーヒットノーラン」と一つにまとめてしまうより、それぞれの実績として分けて理解した方が正確です。

さらに秋の宮崎大会では、宮崎海洋高校を相手に5回コールドの参考記録ながら完全試合も達成しています。

時期 主な出来事
高校1年夏 9番・三塁手として公式戦に出場
高校1年秋 本格的に投手として頭角を現す
高校2年春 最速147km/hを計測
高校2年・新人大会 151km/hを計測
新人大会決勝 鵬翔高校戦でノーヒットノーラン
高校2年秋 宮崎海洋高校戦で5回参考記録の完全試合

甲子園に出ていないため全国的な知名度では甲子園スターに及びませんでしたが、プロのスカウトから見れば、すでに「見に行く価値のある高校生投手」になっていたわけです。

高校時代の山本選手を語るうえで重要なのは、単に球速が速かったということだけではありません。

変化球を操る器用さや制球力、投球全体をまとめる能力まで評価されていました。

現在の山本選手の特徴である「ただ速いだけではなく、打者を打ち取るために多彩な球を操る」という原型は、高校時代からすでに見え始めていたのだと思います。

高校最後の夏は延岡学園戦で11奪三振

高校3年夏、山本選手は最後の宮崎大会を迎えます。

初戦となった2回戦の相手は延岡学園。

甲子園出場経験も豊富な県内有数の強豪です。

この試合で山本選手は、プロのスカウトが多数見守る中で強烈な存在感を見せました。

大会 対戦相手 主な投球内容 最速
第98回全国高校野球選手権 宮崎大会2回戦 延岡学園 7回2/3、被安打3、11奪三振 149km/h

都城高校は7-3で勝利。

山本選手は140km/h台後半の速球だけでなく変化球も交え、強豪打線を抑えました。

そして、この試合には12球団から多数のスカウトが集まったと報じられています。

つまり、「甲子園に出ていないからプロから知られていなかった」というわけではありません。

全国的な知名度と、プロのスカウトからの評価は別物だったということです。

甲子園中継を見ている私たちファンはどうしても全国大会で活躍した選手に目が向きます。

しかしスカウトは地方大会、練習試合、春季大会なども含めて選手を追っています。

山本選手は甲子園に出なくても、すでに12球団がチェックするほどの投手になっていました。

なぜ甲子園に行けなかった?最後は宮崎商業に0-2で敗戦

延岡学園を破り、いよいよ甲子園への期待が高まった都城高校でしたが、続く3回戦で宮崎商業と対戦します。

結果は0-2。

都城高校は敗れ、山本選手の高校野球はここで終わりました。

高校野球は一発勝負のトーナメントです。

どれだけ優れた投手がいても、一度負ければその夏は終わります。

野球は投手一人だけで勝敗が決まる競技でもありません。

ここが、個人能力と甲子園出場歴を単純に結びつけてはいけない理由でもあります。

そして後になって明らかになったのが、この宮崎商業戦の頃に山本選手が右肘の痛みを抱えていたという事実です。

Number Webの回顧記事では、山本選手本人が当時の監督に対して、宮崎商業戦の時には肘が痛かったことを後になって明かしたエピソードが紹介されています。

(参考:Number Web 山本由伸の高校時代に関する記事)

ここは大切なので、はっきり分けておきたいと思います。

「肘が痛かった」というのは本人の回想から確認できる事実ですが、「痛み止めを飲んで投げていた」「甲子園へ進めば重傷になっていた」といったところまでを、確認できる根拠なしに断定することはできません。

甲子園に出なかったから成功した、とまでは言えない

山本選手が高校最後の夏に右肘の痛みを抱えていたことから、「もし甲子園まで勝ち進んで登板数が増えていたら、さらに負担がかかった可能性はあったのでは」と考えることはできます。

ただし、それはあくまで仮定の話です。

甲子園に出場しなかったことが、その後の成功の直接的な原因だったと断定することはできません。

大切なのは、「甲子園未出場だったから成功した」のではなく、甲子園に出られなかった後も成長を止めず、プロ入り後も自分の身体と技術を研究し続けたことだと私は考えています。

これは山本選手の物語をより正確に理解するうえで、とても重要なポイントです。

山本由伸はなぜドラフト4位だった?スカウト評価を検証

高校2年で151km/hを記録し、ノーヒットノーランも達成。

3年夏には12球団のスカウトが視察するほど注目されていた山本選手ですが、2016年のドラフト会議ではオリックス・バファローズから4位指名でした。

今の実績から振り返れば、「どうして4位まで残っていたの?」と不思議になりますよね。

ただし、ここでも「他球団が実力を見抜けなかった」と単純化しない方が、実際のドラフトに近い見方ができます。

プロスカウトは高校時代から高く評価していた

山本選手は甲子園に出場していませんが、プロからの評価はかなり高いものでした。

延岡学園戦には12球団から多くのスカウトが集まり、球速だけでなく、変化球、制球、投球フォーム、試合を作る能力などもチェックされていました。

当時のスカウト評を見ると、「球種が豊富」「高校生として完成度が高い」「真っすぐと変化球で腕の振りが変わらない」といった点が評価されています。

「直球と変化球で腕の振りが大きく変わらない」というのは、打者にとってかなり厄介です。

球種を早い段階で見分けにくくなるからです。

現在の山本選手も、フォーシーム、カーブ、スプリット、カットボールなど複数の球種を高いレベルで操ります。

もちろん高校時代と現在の投球をそのまま同じものとして見ることはできませんが、「速球だけに頼らず投球全体で勝負できる」という部分にはつながりを感じます。

高校時代からプロが見ていたのは、球速表示だけではなかったのでしょう。

「4位=評価が低かった」ではない

2016年10月20日のドラフト会議で、山本選手はオリックスから4位指名を受けました。

(出典:NPB 2016年ドラフト会議 オリックス指名選手)

今の山本選手を知っていると、4位という順位だけを見て「当時はそれほど評価されていなかった」と思ってしまうかもしれません。

しかし、実際は少し違います。

オリックスで山本選手を担当したスカウトの山口和男さんは、かなり早い段階から能力を高く評価していました。

後年のインタビューでは、本来ならもっと上位で考えていたほどの投手であり、4位まで残っていたこと自体を幸運だったという趣旨で振り返っています。

ドラフト順位は、その選手一人だけの能力で決まるわけではありません。

その年の各球団の補強ポイント、他の候補選手、指名順、大学生・社会人選手との兼ね合い、故障歴や将来性など、さまざまな要素が絡みます。

そのため、「4位だった=12球団が4位程度の評価しかしていなかった」と考えるのは正確ではありません。

肘の状態や進路の不透明さもドラフトに影響した可能性

山本選手の場合、高校3年時に肘の状態が万全ではなかったことに加え、一時期は社会人野球へ進む選択肢も考えていました。

Number Webに掲載された担当スカウトの回想によると、山本選手は当初、社会人へ進む方向も考えており、最終的にプロ志望届を出したのは締め切りに近い時期でした。

本人も後に、人と話す中で考えが変わり、最終的にプロへ行くことを決断したと振り返っています。

こうした進路の動きも含め、ドラフトまでの評価は現在から見るほど単純ではありませんでした。

また、高校時代には肘や下半身の状態によって登板を回避したり、十分に投げられなかった時期もあったとされています。

スカウトがいつ見に来ても最高の状態を見せられるわけではありません。

高校生のドラフト候補には、こうした難しさもあるんですね。

ドラフト順位は「プロ入り時点の評価」であって、その後の限界値ではない

ドラフト1位で入った選手が必ずスターになるわけではありませんし、下位指名や育成指名から日本を代表する選手へ成長する例もあります。

山本由伸選手の4位指名は、「見る目のない球団ばかりだった」という話ではなく、高校生投手の評価がいかに難しいかを教えてくれる例として見る方が自然です。

原文では、4位指名への「悔しさ」が山本選手を奮い立たせたと表現していました。

たしかに、選手にとって指名順位が刺激になることはあるでしょう。

ただ、山本選手本人が「4位だった悔しさこそ、その後の成功の原動力だった」と明確に語った根拠を確認できない以上、そこまで断定する必要はないかなと思います。

それよりも注目したいのは、4位というスタート地点から、自分の身体と投球を徹底して研究し続けたことです。

ドラフト順位より、プロ入りした後に何を積み重ねるか。

山本選手の歩みを見ていると、その重要性を強く感じます。

山本由伸が甲子園未出場から日本最高峰の投手になるまで

2016年ドラフト4位でオリックスへ入団した山本選手は、そこから想像を超えるスピードで成長していきます。

しかし、その成長は単純に「筋力をつけて球速を上げた」というものではありませんでした。

自分の身体をどう動かせば、少ない無理で効率よく力をボールへ伝えられるのか。

そこを追求してきたことが、山本選手を語るうえで欠かせません。

プロ入り後は早くから一軍で頭角を現した

山本選手は2017年にオリックスへ入団。

高校卒業1年目から一軍登板を経験し、その後は先発だけでなくリリーフでも力を発揮しました。

そして先発へ本格的に定着すると、球界を代表する投手へ一気に駆け上がっていきます。

2021年から2023年までの3年間は、まさに圧巻でした。

3年連続で「最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率」の投手四冠を達成。

これはNPB史上初の快挙です。

さらに沢村賞も3年連続で受賞し、パ・リーグMVPも3年連続。

高校時代に甲子園へ出ていないどころか、ドラフト4位だった投手が、日本プロ野球でこれほどの成績を残したわけです。

(出典:日本野球機構「山本由伸 個人年度別成績」)

この時点で、「高校時代の評価が選手の完成形ではない」ということがよくわかります。

独自のトレーニング法と矢田修トレーナーとの出会い

山本選手の成長を語るうえで欠かせない人物が、矢田修トレーナーです。

プロ入り後の山本選手は、一般的な高負荷のウエイトトレーニングだけを中心に据えるのではなく、身体のバランス、関節の動き、全身の連動性などを重視する独自のアプローチを取り入れてきました。

ここで気をつけたいのは、「筋力トレーニングは悪い」「筋肉をつけない方がいい」という単純な話ではないことです。

山本選手が重視してきたのは、自分の身体を思い通りに扱い、必要な力を効率よくボールへ伝えることです。

代表的なのが、メディアでも何度も紹介されているジャベリックスローとブリッジです。

細長い器具を投げるジャベリックスローでは、腕だけを強く振るのではなく、足元から体幹、肩、腕へと動きをつなげていくことが必要になります。

またブリッジなどの動作を含め、身体の柔軟性や動きの確認も大切にしています。

MLBへ移籍してからも、山本選手が登板前に独特の動きを行っている姿がたびたび紹介されました。

チームメートが興味を持つほど、一般的なメジャーリーガーのウォームアップとは違って見える部分もあります。

ただし、これも「このトレーニングさえやれば山本由伸のようになれる」という意味ではありません。

本人の身体特性を理解し、専門家と長い時間をかけて作り上げてきた方法だからです。

矢田修トレーナーとの関係やトレーニングの考え方については、こちらの記事でさらに詳しく紹介しています。

▶ 山本由伸のトレーナー矢田修の正体!独自の身体操作メソッドに迫る

山本由伸のトレーニングをそのまま真似するのは注意

ジャベリックスローやブリッジなどは、身体の状態や可動域によっては負担になる可能性があります。

山本選手が行っているからといって、一般の人や成長期の選手が映像だけを見てそのまま再現するのはおすすめできません。

取り入れたい場合は、身体の状態を理解している指導者や専門家に相談したうえで行うことが大切です。

また、山本選手の方法もずっと同じではありません。

MLBへ移ってからも身体づくりや投球を調整し続けています。

私自身、長くスポーツを見てきて、昔は「野球の技術はそれほど変わらないもの」と考えていた時期がありました。

しかし、現在のMLB選手の打撃や投球、トレーニングを見ていると、その考えは大きく変わりました。

山本選手も、特定の方法を絶対視するのではなく、自分に必要なものを考えながら更新していく選手なのだと思います。

甲子園に出なかったことは成功の理由なのか

ここは「山本由伸 甲子園」と調べている方に、ぜひ知っておいてほしいところです。

山本選手が甲子園に出なかったことで高校時代の登板数が増えず、結果としてその夏にそれ以上の負荷がかからなかったのは事実です。

しかも最後の宮崎商業戦では右肘に痛みがありました。

そのため、「もし勝ち進んでいたらどうなったのだろう」と考えたくなる気持ちはよくわかります。

私も高校野球を経験しているので、夏のトーナメントでエースが「次も自分が投げる」と考える気持ちは想像できます。

ただし、そこから「甲子園へ行っていたら故障していた」「甲子園へ行かなかったから世界的投手になれた」と結論づけることはできません。

未来に起きなかった出来事は検証できないからです。

山本由伸選手の本当のすごさは、甲子園に出なかったことではなく、甲子園に出られなかった後も、自分の可能性を狭めなかったことではないでしょうか。

高校最後の夏が県大会3回戦で終わっても、ドラフト4位でも、その後の成長まで決まるわけではありません。

私は、こちらの方が山本選手の経歴から受け取れる大きなメッセージだと思います。

山本由伸はMLBでも世界トップクラスへ

NPBで3年連続投手四冠という前例のない実績を残した山本選手は、2023年オフにポスティングシステムを利用してMLB移籍を目指しました。

そしてロサンゼルス・ドジャースと12年総額3億2500万ドルの大型契約を結び、2024年からメジャーリーグへ挑戦しています。

契約締結時点では、投手としてMLB史上最大規模となる総額でした。

為替によって日本円換算額は大きく変わるため、この記事ではドル建ての契約額を基本にしています。

契約内容について詳しく知りたい方は、こちらの記事も参考にしてください。

▶ 山本由伸の契約金は投手史上最高額!総額や内訳を徹底解説

2024年は負傷離脱を乗り越えてワールドシリーズ制覇

メジャー1年目の2024年は、すべてが順調だったわけではありません。

シーズン途中には右肩の状態によって長期離脱を経験しました。

日本とは異なる登板間隔、ボール、マウンド、移動距離など、MLBならではの環境への対応も必要でした。

それでもシーズン終盤に復帰し、ポストシーズンでは重要な場面を任されます。

特に印象的だったのがニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズ第2戦です。

山本選手は6回1/3を投げ、許した安打はソロ本塁打による1本だけ。

強力なヤンキース打線を1失点に抑え、勝利投手となりました。

ドジャースはそのまま2024年のワールドシリーズを制覇。

甲子園には一度も出場しなかった高校球児が、約8年後には世界最高峰の野球舞台でワールドシリーズを制しているわけです。

この成長曲線は、本当にすごいですよね。

2025年は12勝、防御率2.49|サイ・ヤング賞投票3位

メジャー2年目の2025年は、さらに評価を高めるシーズンとなりました。

レギュラーシーズンでは30試合に先発し、12勝8敗、防御率2.49。

173回2/3を投げて201奪三振を記録しました。

相手打者の被打率は.183。

メジャー屈指の「打たれにくい投手」として存在感を示し、ナ・リーグのサイ・ヤング賞投票でも3位に入りました。

日本で実績を残した投手がMLBへ渡り、最初の1、2年で壁にぶつかることは珍しくありません。

その中で山本選手は、メジャー仕様へ投球を調整しながら先発ローテーションの中心になっていきました。

2025年ワールドシリーズMVP|日本人投手で初の快挙

そして山本由伸選手の評価を世界的なものにしたのが、2025年のポストシーズンです。

ここは原文で少し誤解しやすい表現になっていたため、正確に整理します。

山本選手が「2試合連続で完投勝利」したのは、ワールドシリーズだけで2試合続けたわけではありません。

ナ・リーグ優勝決定シリーズ第2戦と、その次の先発となったワールドシリーズ第2戦で、ポストシーズン2登板連続の完投勝利を記録しました。

これだけでも現代MLBではかなり珍しい記録です。

さらにトロント・ブルージェイズとのワールドシリーズでは、第6戦に先発して6回を投げた翌日、第7戦にも救援登板。

登板間隔ゼロという厳しい状況でマウンドに上がり、ドジャースの連覇に大きく貢献しました。

シリーズ成績は3勝、防御率1.02。

この活躍により、山本選手は2025年ワールドシリーズMVPに選ばれました。

日本人選手としては2009年の松井秀喜選手以来2人目で、日本人投手としては初の受賞です。

(出典:MLB公式「山本由伸が2025年ワールドシリーズMVP」)

高校時代の「甲子園に出ていない投手」という肩書きは、この時点ではもはや遠い過去の話に感じます。

ただ、その出発点まで知ってからワールドシリーズの投球を見ると、また違った感動がありますよね。

2026年もドジャースのエース格として活躍

そして2026年シーズンも、山本選手の勢いは続いています。

2026年9月9日(現地時間)のレッズ戦終了時点では、次の成績を残しています。

2026年成績 9月9日(現地)終了時点
先発 26試合
勝敗 13勝8敗
防御率 2.62
投球回 172回
奪三振 171
WHIP 0.88

13勝はMLB移籍後の自己最多です。

2026年もオールスターに選出され、2年連続で球宴メンバー入りを果たしました。

また、6月には45打者連続アウトというメジャー史でも屈指の記録を残し、ホワイトソックス戦では9回まで無安打投球を続ける試合もありました。

単に「2025年のワールドシリーズだけすごかった投手」ではなく、2026年も先発投手として高い水準を維持していることがわかります。

2026年の成績はシーズン途中の数字です

この記事の2026年成績は、現地時間2026年9月9日の登板終了時点で確認した数字です。

シーズン中は登板のたびに勝敗、防御率、投球回などが変わります。

最新の数字を確認したい方は、MLB公式の山本由伸選手ページをご確認ください。

MLB公式 山本由伸選手ページ

私は1978年に後楽園球場でシンシナティ・レッズの来日試合を観戦して以来、長い間メジャーリーグを見てきました。

当時は、日本人選手がMLBの中心選手として活躍し、ましてワールドシリーズMVPを獲得する未来までは想像できませんでした。

その舞台で山本選手がエース級の投球をしているのを見ると、本当に時代が変わったのだと感じます。

同世代の甲子園スターと山本由伸は何が違ったのか

山本由伸選手と同じ1998年度生まれには、高校時代から全国的に知られていた投手が数多くいました。

代表的なのが、作新学院の今井達也投手、横浜高校の藤平尚真投手、履正社の寺島成輝投手などです。

今井投手は2016年夏の甲子園で作新学院を全国制覇へ導き、一気にドラフト1位候補となりました。

山本選手とは対照的な高校野球の歩みですよね。

だからこそ、両者を比べる時に気をつけたいことがあります。

「甲子園に出なかった山本は肩肘を温存できたから成功し、甲子園で投げた選手は消耗した」という単純な比較はできません。

今井投手のように甲子園で多くの注目を浴び、その後もプロで成長している投手もいます。

一方、甲子園未出場でもプロ入り後に伸び悩む選手は当然います。

重要なのは甲子園に出たか出なかったかではなく、その後どのような環境で、自分の身体と技術を成長させ続けられるかということではないでしょうか。

山本選手の場合、高校卒業時点を完成形とせず、プロ入り後も身体の使い方、投球フォーム、球種、コンディショニングを追求し続けました。

一方で今井投手には今井投手の成長過程があります。

同世代でも、世界へ向かう道は一つではありません。

今井達也投手の高校時代についてはこちらの記事で詳しく紹介しています。

▶ 今井達也の高校時代!挫折からメジャーへ飛躍した軌跡

山本選手と並べて読むと、「高校時代の評価」と「プロ入り後の成長」の違いがさらにわかりやすいかなと思います。

甲子園に出場していなくても活躍したスター選手は他にもいる

甲子園に出場せずにプロで大成した選手は、山本由伸選手だけではありません。

たとえば岩隈久志投手は堀越高校時代に甲子園出場経験がありません。

1999年ドラフト5位で大阪近鉄バファローズへ入団し、日本を代表する投手へ成長。メジャーリーグではシアトル・マリナーズでノーヒットノーランも達成しました。

千賀滉大投手も愛知県の蒲郡高校時代に甲子園へ出場していません。

しかも最初から支配下ドラフトの上位指名ではなく、2010年育成ドラフト4位からのスタートです。

そこからソフトバンクのエース、日本代表、そしてMLBへと進みました。

柳田悠岐選手も広島商業高校時代に本人の甲子園出場経験はなく、広島経済大学を経てプロ入りし、日本を代表する打者へ成長しています。

選手 高校 甲子園出場 その後
山本由伸 都城高校 なし NPB3年連続投手四冠、MLBワールドシリーズMVP
岩隈久志 堀越高校 なし NPB最多勝、MLBノーヒットノーランなど
千賀滉大 蒲郡高校 なし 育成指名から日本代表、MLBへ
柳田悠岐 広島商業高校 本人の出場なし NPBを代表する強打者へ

なお、原文ではイチロー選手も「甲子園未出場のスター」の流れで紹介していましたが、ここは分けて考える必要があります。

イチロー選手には愛工大名電時代に甲子園出場経験があります。

そのため、山本選手や千賀投手と同じ「甲子園未出場組」に含めるのは正確ではありません。

ただし、「高校時代の全国的な評価だけで、その後のプロでの到達点は決まらない」という意味では、さまざまな選手の成長過程を比べてみる価値はあります。

スカウトが見るのは甲子園の結果だけではない

現在のプロ野球のスカウティングでは、大会の勝敗だけで選手を評価するわけではありません。

球速、制球力、変化球、投球フォーム、身体能力、将来的な伸びしろ、故障歴、試合での対応力など、さまざまな材料を組み合わせて判断します。

だからこそ、甲子園へ行けなかった選手にもプロ入りの可能性があります。

ただし、「努力さえすれば必ずスカウトに見つけてもらえる」とまで言うこともできません。

野球の世界はそれほど単純ではありません。

山本選手の例からわかるのは、甲子園出場歴が才能を測る唯一の物差しではない、ということです。

山本由伸と甲子園についてよくある疑問

最後に、「山本由伸 甲子園」と調べている方が疑問に思いやすいポイントを、簡潔に整理しておきます。

山本由伸は甲子園に出たことがありますか?

ありません。

宮崎県の都城高校に在籍しましたが、春のセンバツ、夏の選手権とも甲子園への出場経験はありません。

山本由伸は高校最後の夏、どこに負けたのですか?

2016年夏の宮崎大会3回戦で宮崎商業と対戦し、都城高校は0-2で敗れました。

これが山本選手にとって高校最後の公式戦となりました。

高校時代の山本由伸は何キロ出ていた?

高校2年時に最速151km/hを記録しています。

3年夏の延岡学園戦でも、スカウトのスピードガンで149km/hを計測したと報じられています。

150km/hを超える速球だけでなく、変化球や制球力もプロから評価されていました。

山本由伸は高校時代にノーヒットノーランをした?

はい。

高校2年時の宮崎県新人野球大会決勝、鵬翔高校戦でノーヒットノーランを達成しています。

さらに秋には宮崎海洋高校戦で5回コールドの参考記録ながら完全試合も記録しました。

山本由伸のドラフト順位は何位?

2016年ドラフトでオリックス・バファローズから4位指名を受けました。

ただし、4位だったから能力評価が低かったわけではなく、担当スカウトからは高く評価されていました。

なぜドラフト1位ではなかったの?

一つの理由だけで説明することはできません。

高校3年時のコンディション、社会人野球への進学も検討していたこと、各球団の補強方針、その年の候補選手など複数の要素が絡んでいます。

ドラフトは単純な能力ランキングではない、という点を押さえておくとわかりやすいです。

甲子園に出なかったことが山本由伸の成功につながった?

そこまで断定することはできません。

高校最後の夏に右肘の痛みがあったことは確認されていますので、それ以上登板が増えなかったことで追加の負荷がかからなかったとは言えます。

しかし、甲子園へ進んでいた場合にどのような結果になったかは誰にもわかりません。

山本選手の成功を「甲子園へ行かなかったから」と一つの理由で説明するより、プロ入り後も身体や投球を研究し続けたことに注目する方が、彼の本当のすごさに近づけると思います。

まとめ:山本由伸は甲子園未出場でも世界の頂点まで上り詰めた

今回は、山本由伸選手の甲子園出場歴、高校時代の成績、ドラフト4位となった背景、プロ入り後の成長、そしてMLBでの現在までを詳しく見てきました。

改めて重要なポイントを整理すると、山本選手は宮崎県の都城高校に進学し、高校2年時には151km/hを記録。ノーヒットノーランや5回参考記録の完全試合も達成するほどの投手になっていました。

それでも甲子園には一度も出場していません。

高校最後の夏は、右肘に痛みを抱えながら宮崎大会3回戦の宮崎商業戦で敗退しました。

しかしプロの評価が低かったわけではなく、延岡学園戦には12球団のスカウトが集まるほど注目されていました。

2016年ドラフトではオリックスから4位指名。

そこから2021年から2023年までNPB史上初となる3年連続投手四冠、3年連続沢村賞という圧倒的な実績を残します。

そして2024年にロサンゼルス・ドジャースへ移籍。

2024年のワールドシリーズ制覇に貢献し、2025年にはさらに圧巻のポストシーズンを見せ、日本人投手として初めてワールドシリーズMVPを獲得しました。

2026年もドジャースの主力先発として活躍を続けています。

山本由伸選手の物語で最も心に残るのは、「甲子園へ行けなかった選手が成功した」ということだけではありません。

高校時代に思い描いていた結果を得られなくても、そこで自分の可能性を決めなかったことです。

甲子園へ出られなかった。

ドラフト1位でもなかった。

それでも、そこから身体の使い方を研究し、技術を磨き、毎年のように自分の投球を更新していきました。

私自身、高校時代に硬式野球を経験し、甲子園という舞台を目指した一人として、甲子園が高校球児にとって特別な場所であることはよくわかります。

だからこそ同時に、「甲子園へ出られなかったら終わりではない」という山本選手の歩みには強く惹かれます。

18歳の時の実績や評価だけでは、その選手の未来は決まりません。

これは野球だけではなく、スポーツ全般に通じる話かもしれませんね。

山本由伸選手がこれからMLBでどこまで記録を伸ばしていくのか。

ワールドシリーズMVPの次に、どんな景色を私たちに見せてくれるのか。

1970年代からメジャーリーグを見続けてきた一人の野球ファンとして、これからの投球も楽しみに追いかけていきたいと思います。

山本選手の高校時代を知ったあとに「では、なぜあの小柄な身体から世界トップクラスのボールを投げられるのか?」と気になった方は、次の記事も読んでみてください。

▶ 山本由伸のトレーナー矢田修の正体!独自の身体操作メソッドに迫る

高校時代から現在までをつなげて見ると、山本由伸という投手のすごさが、さらに見えてきますよ。


【あわせて読みたい記事】

山本由伸選手の高校時代から現在までの歩みを知ると、「なぜここまで世界的な投手へ成長できたのか」「同世代の投手とはどんな違いがあったのか」も気になってきますよね。

ここからは、山本選手の成長の秘密やMLBでの評価をさらに深く知りたい方に、あわせて読んでほしい3つの記事を紹介します。

山本由伸はなぜここまで成長できた?独自トレーニングの秘密

甲子園未出場、ドラフト4位から日本最高峰の投手となり、さらにMLBでも活躍する山本由伸選手。その飛躍を語るうえで欠かせないのが、矢田修トレーナーとの出会いです。

やり投げやブリッジといった独特のトレーニングは、いったい何を目的としているのでしょうか。高校時代から現在までの成長を知ったあとに読むと、山本選手が「身体の使い方」をどれほど深く追求してきたのかが、さらに見えてきますよ。

▶ 山本由伸のトレーナー矢田修の正体!独自の身体操作メソッドに迫る

同世代の今井達也は甲子園優勝からドラフト1位へ

山本由伸選手と同じ1998年度生まれの今井達也投手は、高校最後の夏に作新学院のエースとして甲子園優勝を果たし、ドラフト1位でプロ入りしました。

甲子園未出場・ドラフト4位だった山本選手とは対照的ですよね。しかし今井投手も、高校時代から順風満帆だったわけではありません。

同世代の2人がどのような高校時代を過ごし、それぞれの道から世界最高峰の舞台へたどり着いたのか。比較して読むと、「高校時代の評価だけでは選手の未来は決まらない」ということが、さらによくわかります。

▶ 今井達也の高校時代!挫折からメジャーへ飛躍した軌跡

ドラフト4位から投手史上最大級の契約へ|山本由伸の評価はどう変わった?

高校時代は甲子園に出場できず、2016年のドラフトではオリックスから4位指名だった山本由伸選手。

ところがMLB移籍時には、ロサンゼルス・ドジャースと12年総額3億2500万ドルという歴史的な大型契約を結びました。

なぜドジャースは、まだMLBで1球も投げていなかった山本選手にこれほど大きな契約を提示したのでしょうか。契約総額だけでなく、契約内容やポスティング譲渡金などを知ると、世界から受けていた評価の高さがより具体的に見えてきますよ。

▶ 山本由伸の契約金は投手史上最高額!総額や内訳を徹底解説

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